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ダンマ聖者とブッダ

完全に目覚めたブッダと独りで目覚めたブッダの違い、四双八輩と呼ばれる聖者の段階、菩薩と、この時代に現れる五人のブッダを紹介します。

仏教では、心の汚れを断ち、苦しみの終わりへ確かに歩み出した人を、(アリヤ)と呼びます。この記事では、上座部(テーラワーダ)の伝えに沿って、目覚めた人にどのような違いがあるのか、聖者にどのような段階があるのか、そしてブッダがどのように現れると考えられているのかを紹介します。

目覚めた人の三つの姿

上座部では、目覚めた人を大きく三つに分けて語ります。

  • (サンマーサンブッダ):師から教わることなく、自分の力で四聖諦を悟り、その道を人々に説いて、教えと僧団を世に残す人です。ゴータマブッダ(お釈迦様)がこれにあたります。経典は、一つの世界に二人の正自覚者が同時に現れることはないと説きます。
  • 独覚(パッチェーカブッダ):正自覚者と同じく、師なしに自分の力で目覚めた人です。けれども、教えを広く説いて僧団を築くことはしない、と伝えられます。注釈書の伝承では、ブッダの教えが世にない時代に現れるとされます。
  • (サーヴァカ)としての:ブッダの教えを聞き、それに従って実践して目覚めた人です。

心の汚れが尽き、もう生まれ変わらないという点では、三者とも同じです。違うのは、師なしに悟ったかどうかと、人々を導く教えを世に残すかどうかです。上座部では、正自覚者だけがもつ智慧の力(十力など)があると説かれ、その智慧の広さでもほかの二者と区別されます。

四双八輩:聖者の段階

ブッダの弟子のをたたえる言葉に、「四双八輩(しそうはっぱい)」があります。聖者を四つの組、八種類の人として数えたものです。

四つの組は、悟りの深さの四つの段階です。それぞれに、その段階のにある人(向)と、その実りを得た人(果)がいるので、四つの組で八種類になります。段階は、心を生まれ変わりに縛りつける十の「結び目」(結)を、どこまで断ったかで分けられます。

  1. 預流(よる):の流れに入った人です。「この体と心を自分だとみなす見方」「教えへの疑い」「形だけの儀式や戒めにすがること」の三つの結び目を断っています。悪い世界に生まれることはなくなり、多くても七回の生まれ変わりのうちに苦しみを終えると説かれます。
  2. 一来(いちらい):三つの結び目を断ったうえに、欲の貪りと怒りと迷いが薄くなった人です。この世にもう一度だけ戻って、苦しみを終えると説かれます。
  3. 不還(ふげん):欲の貪りと怒りの結び目まで断ち、下の五つの結び目をすべて離れた人です。この世には戻らず、上のの世界に生まれて、そこで完全な涅槃に入ると説かれます。注釈書は、その世界として浄居天(じょうごてん)を挙げます。
  4. (あらかん):残る上の五つの結び目(形ある世界と形のない世界への貪り、慢心、心の浮わつき、無知)もすべて断ち、なすべきことをなし終えた人です。もう生まれ変わることはなく、命が終わると完全なに入ります。

聖者は出家者だけではありません。経典には、在家のまま預流や不還になった人々も多く登場します。

菩薩:ブッダを目指す人

菩薩(ボーディサッタ)は、目覚めを目指して歩んでいる人のことです。上座部では、主に将来ブッダになる人、たとえば目覚める前のゴータマを指してこう呼びます。

上座部の伝承では、菩薩は、過去のブッダの前で「自分もブッダになる」と誓い、そのブッダから将来の目覚めを予言されます。ゴータマブッダの場合は、はるか昔、スメーダという名の行者だったときに、ディーパンカラブッダから予言を受けたと伝えられます。

その後、菩薩は数えきれない生をかけて、十の徳(十波羅蜜)を積みます。施し、戒め、出離、智慧、精進、忍耐、真実、決意、慈しみ、平らかな心の十です。ジャータカ(前世の物語)は、その歩みを語る話でもあります。

なお、大乗仏教では、多くの人が菩薩としてブッダを目指す道が広く勧められ、菩薩という言葉の指す範囲がより広くなります。この記事は上座部の見方に沿っています。

賢劫の五仏

ブッダはただ一人ではなく、とても長い時間の中で、間を置いて何度も現れると考えられています。ひとりのブッダの教えが世から消えてしまったあと、また別の人が自分の力で目覚め、教えを説きます。

私たちが生きている今の時代(劫)は、注釈書の伝承では、五人のブッダが現れるめでたい時代として「賢劫(けんごう)」と呼ばれます。

  1. カクサンダブッダ
  2. コーナーガマナブッダ
  3. カッサパブッダ
  4. ゴータマブッダ:今の時代のブッダで、私たちが教えを受け継いでいるお釈迦様です。
  5. メッテイヤブッダ:これから現れる未来のブッダです。

はじめの三人は、ゴータマブッダより前に現れた過去のブッダとして、経典に名前が挙がります。経典はさらに前の時代のブッダとして、ヴィパッシー、シキー、ヴェッサブーの名も挙げ、ゴータマブッダまでの七人のブッダ(過去七仏)を語ります。

未来のブッダ

メッテイヤブッダ(弥勒仏)は、上座部の四つのニカーヤ(経の集まり)の中で名前が挙がる、ただ一人の未来のブッダです。経典は、人の寿命が八万歳になる遠い未来に、メッテイヤブッダが現れると説きます。注釈書などの伝承では、いまは菩薩として兜率天(とそつてん)にいるとされます。

大乗仏教でも弥勒菩薩は未来のブッダとされますが、現れるまでの年数の数え方などは伝統によって異なります。メッテイヤブッダの前世の話はゴータマブッダとメッテイヤブッダで、聖者へ向かう道そのものは八正道で読めます。