ダンマ五蘊
体と心を五つの集まりに分けて見る、仏教の基本の見方です。
五蘊(ごうん)は、私たちの体と心を、五つの集まりに分けて見る見方です。「蘊」は集まりを意味します。ブッダは、「私」と呼んでいるものは、この五つが寄り集まってできているにすぎないと説きました。
五つの集まり
- (しき):体や、目に見える物など、形あるもの
- (じゅ):心地よい、不快、どちらでもない、という感じ
- (そう):「これは花だ」「赤い」と見分け、名前をつける働き
- (ぎょう):「欲しい」「嫌だ」と心が動き、何かをしようとする働き
- (しき):見る、聞く、考えるなど、対象を知る働き
一つ目は体の側、残りの四つは心の側です。心の側の四つは、まとめてと呼ばれます。ナーマは「名」を意味する語ですが、ここでは人や物につけた名前ではありません。受・想・行・識の四蘊として、対象を名づけて認識する心の働きを指します。
花を見るとき
庭の花を見る場面で考えてみます。目という体(色)が花に向かい、花が見えていることを知ります(識)。「バラだ」と見分け(想)、「きれいで心地よい」と感じ(受)、「もっと近くで見たい、摘みたい」と心が動きます(行)。
一瞬のことのようですが、五つの働きが次々に起きています。そして、どの働きも、起きてはすぐに消えていきます。
どこにも「私」はない
五つのどれを取っても、ずっと変わらない「私」は見つかりません。体は老いていき、感じも見分けも思いも、次々に入れ替わります。
それなのに私たちは、五つの集まりを「私」「私のもの」としてつかみ、思いどおりにしようとします。そこからが生まれます。四苦八苦の最後に「五蘊盛苦」が数えられるのはそのためです。
五つの集まりが移ろい、思いどおりにならず、「私」ではないことは、三相で詳しく読めます。体と心の動きを実際に見ていく方法はヴィパッサナー瞑想です。